2015年5月26日火曜日

再び歴史認識について

中国の習主席は日本に対して事あるごとに歴史認識を振りかざして外交のカードにしている。

彼はこの春、中国を訪問した自民党の谷垣幹事長や高村副総裁、額賀元財務相などには会うことなく、今回訪問した二階飼総務会長などには「朋有り遠方より来るまた喜ばしからずや」などと孔子の言葉を引用して歓迎している。これは日本の世論を分断し、8月に発表される戦後70年の首相談話や憲法の改正の動きを牽制(けんせい)しているものと思われる。

私はその昔、KDD(KDDIの前身で国際電信電話株式会社)にいた頃、日中国交回復の直後から中国に衛星通信の技術を教えるため中国政府や大学を何回も訪れ、当時、中国の幹部とみられる要人ともしばしば会食を共にしたことがあるが、歴史認識の話では一歩も譲歩しなかった。そして、時には席をけって帰りかけたこともあるが、後になってみると、これが「私はお世辞を言わない、つまり嘘をつかない人」として信用を高めることになった。

中国では数年前まで『非孔非林』として孔子を批判し、紅衛兵は孔子の廟や遺跡を破壊し、また小学校や中学では運動会などで、孔子の人形に石を投げつけたり棒でたたいたりする競技を行わせていたとうことを聞いたことがあるが、日中の国交が復興し日本人観光客が増加してくると、孔子は金になるとして、孔子廟などの復興を始め、「朋あり遠方より来る・・」など孔子の言葉を引用して観光案内をしている。

日中戦争の発端となった盧溝橋事件にしても、当初は、中国共産党が初めに日本軍に発砲し、次いで同じ共産党軍が中国国民党軍に発砲して、日本軍と中国国民党軍を戦わせ今日の中華人民共和国の建設に導いたとしていたが、いつの頃からか日本軍が先に戦争を仕掛けたことにしてしまった。

南京事件にしても、これが世に出たのは戦後の東京裁判が始まってからである。その時は確か2万とか3万人の虐殺と言っていたが、いつのまにか30万人ということになった。日本軍の南京占領は昭和12年の12月であるから問題とされる事件発生は終戦の7年以上前の話であるが、蒋介石総統が戦中も戦後もこの話をしたというのを聞いたことがない。もし本当にそのようなことがあったのなら戦中、蒋介石政権に味方していた英米やフランス、オランダなどに働きかけて大いに宣伝すべきであったと思うのだが如何であろうか?

毛沢東主席が南京問題について語ったというのも聞いたことがない。この問題が大きく取り上げられるようになってから日本では南京学会というのができて当時のことを徹底的に調査したと聞いているが、その事件は戦後に作られた捏造の歴史であるように思われる。何時だったか良く思えていないのだが、日本側の提案で、日本と中国の歴史家が集まって南京事件を徹底的に調査討論しようとしたことがあるが、中国側がこれに応じなかったことがある。

日本では「勝てば官軍」という言葉があり、何でも敗者は勝者の言いなりになっていたが、戦後既に70年もたっているのだ。そろそろ冷静になって勝者側からの歴史だけでなく本当の歴史を眺めるようにしたいものである。


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